科学技術とはいったい・・・
今では当たり前のように使われ、疑う事すらしない科学技術とは、つまり何なのか? 今で我々が日常当然のように使っている科学技術は、西洋の学問体系であります。 ヨーロッパ―では科学技術の元は自然科学であり、その大元は哲学です。 イギリスでさえ、名門大学でも工学部は無く、最近までPhilosophyの一分化でした。 哲学のPhilosophyは、Philoは「愛する」でsophiaは「知」で、知を愛するという意味です。 簡単に言うと、何か不思議なことや解からないことを知るということです。 はじめに、紀元前384~322、アリストテレスが、世の中の解からないことを明確にしました。 「リンゴが大地に落ちるのは、大地と繋がっていたいから」 「転がっているボールが止まるのは、ボールが疲れたから」 というのが当時の哲学であり真理とされてきました。 計測や観測技術がなかった当時は、それが正しいことと判断され常識とされていました。 太陽もそうです。 太陽は無限にあり、平坦な大地を毎日、新しい太陽が東から生まれ西に消えていく。 地球を中心に太陽が回っている。 など変遷があったものの今から見ると正しいものではありませんでした。 そして、そのアリスト哲学は長い間信じられていましたが、ついに1548~1600年ジョルダーノ・ブルーノは、観測により太陽の周りを地球が回っていて、太陽は星だと発表しました。 そうしますと、キリスト教と密接に関わっている当時の哲学において、今まで正しかったのが間違っていたということは、受け入れられないものでした。 なぜなら、「太陽が星⇒天空の星」は太陽ということになってしまうからです。 これは当時ではとんでもない事になります。 なぜなら天空の星が全て太陽なら、一人しかいない神が無数に存在するという、日本では不思議でないことでも、当時のヨーロッパでは受け入れられないものでした。 そして、ジョルダーノ・ブルーノは火あぶりの刑となりました。 このとき、科学技術が進化しました。 観測技術を基に、万人が納得する数式などで証明しなければ、正しい事が伝えられない。 中途半端に発表すると、火あぶりの刑にさせられる・・・と。 そんな1600年代に、ハレーすい星がやってきました。 ハレーすい星は、当時は王の死の